ケルト人について

はじめに

なぜか知らないけど、ケルト人について書きます。

目次

概要

大陸のケルト

ケルト人は、青銅器時代に中部ヨーロッパに広がり、その後期から鉄器時代前期にかけてハッシュタット文化を発展させたと考えられています。
ケルトの社会は、鋭利な鉄製武器を身に着け、馬に引かれた戦車に乗った戦士階級に支配されていました。ケルト人は概して好戦的であったようです。彼らは部族単位で生活しており、特定の国家を形成せず、欧州各地の様々な民族と接触し混じりあっていました。しかしそれゆえ、戦士としては強靭で優れていたにも関わらず、紀元前一世紀頃、カエサルらが率いるローマ軍の組織力の前に衰退し、やがて、500年にわたって、ローマ帝国の支配を受けることとなります。ローマの被支配層となった、ガリ地域に居住していたケルト人は、俗ラテン語を話すようになり、中世にはゲルマン系フランク人に吸収されフランス人に変質していきます。

島のケルト

ケルト人がいつブリテン諸島に渡来したかははっきりせず諸説あり、ケルト民族の研究における大きな論点となっております。ここでは、そのことについては、あまり深入りせず、ブリテン島には過去のある時期よりケルト人が定着していたものとして話を進めます。紀元前1世紀頃、大陸のケルトが、ローマ人によって支配されましたが、そのままローマ人はブリテン諸島にも侵攻してきて、イングランドウェールズはローマの支配を受けてしまいます。 その後、ローマ帝国の影響力の低下した隙をついて、5世紀にアングロ・サクソン人イングランドを侵略し、イングランドケルト文化は消失してしまいました。一方西部のウェールズアングロ・サクソン人の侵略を免れ、ケルトの言語が残存しています。 また、同じブリテン島でも、スコットランドアイルランドはもともとローマの支配を受けておらず、ケルトの文化が根強く残っています。

ケルトと宗教

当初のケルトの宗教は自然崇拝多神教で、ドルイドとよばれる神官がそれを司っていました。 初期のドルイドは、祭祀のみではなく、政治や司法にもかかわっていました。ケルト人には、輪廻転生と霊魂の不滅の宗教観があり、ケルト人は勇敢さと人命の軽視は、その死生観からくるものだと考えられます。

ケルトの文化

神官であったドルイドたちは、教えを文字にすることは正しくないと考えており、そのため全て口承で伝えられ、全てを暗記するのに20年かかったものもいるといわれています。それ以外のものの記録には、ギリシャを借用していました。
ケルト文化は、呪術的で感情的であり、深く心に訴えかける音楽、詩、美術、文学が育まれてきました。音楽(エンヤ)などは現代でも再び脚光を浴びつつあります。また、あの有名なファンタジー小説の、ハリーポッター指輪物語ケルト文化が下敷きとなっています。

現代のケルト

現代における”ケルト人”とは、ケルト語派の言語が話される、アイルランドスコットランドマン島ウェールズブルターニュの人々のことを指します。しかしこの5つの地域の人々で、ケルト系言語を使って日常生活を送る人は、30%程度にすぎないです。しかし近年、さまざまなケルト語再生運動が活発に行われてます。